センスとロジックの絶妙な関係

 

 
友人のファションを見たり、友人の私物を見たりして、
「センスが良い」とか「センスがちょっと…」など話題にすることはないでしょうか。
 
この「センス」のあるなしは、生まれ持ったもののように感じてしまいますよね。
お洒落な人はずっとお洒落で、イケてない人はずっとイケない。
宿命となってしまっている感があります。
 
でも実は、人のセンスとは、いとも簡単に変化してしまいます。
それは、センス(感覚)の対義語である、ロジック(理論)がセンスに影響するからです。
 
 
 
たとえば、中学生の間、周囲からずっと私服を「オシャレだね」とほめられ続けた女の子がいます。
 
女の子は、優秀な成績の子が集う高校に入学しました。
中学時代、周囲に様々な性格の子がいたのに対し、高校では比較的おとなしく真面目な子が多いようでした。
私服にしても、中学時代の同級生より、高校の同級生はテイストが近いようでした。
 
やがて、以前とは違い、高校に入ってから、私服をほめられることはなくなりました。
なぜ女の子はほめられなくなったのでしょうか。
 
それは、人に合わせた方がうまくやっていける、という「理論(ロジック)」を優先したからでした。
そのロジックは、無意識にファッションへの「センス」を周囲に合わせるよう“変えた”のです。
 
 
 
上記の例のように、ロジックはセンスを変える力を持っています。
 
実は両者は密接に結びついていて、センスがロジックを変えることも多々あります。
 
「たくさんボーナスをもらえる大きな企業に内定もらったけど、“楽しくなさそう” だから辞める」
「前回と同じように絵描けば褒められなるけど、色を大きく変えるともっと“良くなりそう” だから変える」
 
など、センスがロジックを変えます。
 
センスとロジックが相互に影響を与える理由。
それは、センスが整理されたものが論理だからです。
つまり、センスとロジックはつながっているわけです。
 
結局、センスという要素が蓄積されなければロジックは完成しないし、ロジックがないとセンスは継続できません。
何度も走ると “足の痛み” というセンス(感覚)になるから、“ほどほどの回数でやめる” というロジック(理論)を選ぶのです。
 
 
“このセンスで選んだファッションはオシャレと言われるんだ!” というロジックがある。
だからこそ、次の機会も同じ感覚でファッションを選び、オシャレと言われ続けるわけです。
 
 
逆に、“ダサい” といわれる人は、オシャレと言われるロジックとは別のロジックを優先しています。
 
買う時に “安い!” というセンスを重視し、コストパフォーマンスを重視するロジック。
あるいは、“動きやすい!” というセンスを重視し、身体性を重視するロジック。
 
これらのロジックは、“オシャレ” とは離れてしまい、“ダサい” と言われることになってしまいます。
しかし、別のセンスによるロジックはしっかりと “生きて” いるのです。
 
センスとは、“オシャレさ” を中心にした意味にされています。
しかし、“ダサい” の中にも、たくさんのセンスとロジックが隠れているのです。
 
「センスがない」と言われても、まったく気にする必要はないのです。