私はこの春、晴れて東京藝術大学に入学することになりました。
しかしながら、もはや社会人の私は芸大受験生でいう “超多浪生” なわけです。
入学するかどうか、ずいぶんと悩みました。
親や友人には、
「よく頑張った。受かることが凄いんだから、入学する必要はないよ。」
と何度も説得されました。
確かにそうです。
美術予備校時代の先輩は芸大の助教授になり、同期は非常勤講師、後輩は助手になっています。
同じ場所で同じ大学を目指していた仲間に、指導されることになるんです。
超年下の同級生ができることよりも、仲間に指導されることのほうが恥ずかしいんです。
そんな恥ずかしさを抱えてまで入学する意味があるか、自問自答しました。
でも、これまでの苦労を想うと、やっぱり入学したいんです。
予備校時代によく、「受け続ければ、いつか受かる」という言葉を聞きました。
「そんなわけないじゃん」とツッこみ、そして「受かるかも」とけっこう期待しつつ、何年も落ち続けました。
想えば、一次試験で落ち続けたのが最も辛かったです。
だって、志望する専攻の油画材を使わず落ちるんだから。
こんなに不本意な落ち方はありません。
何度も受験するうち、予備校の同期は芸大を卒業しました。
何度も一次試験に落ちている時、予備校の同期は売れっ子アーティストの仲間入りしました。
そんな中、ようやく合格することができたんです。
入学したら何をするか。
特に考えていません。
超年下の同級生と飲み会を楽しんだり、アート談義をする…気にもなれません。
なぜなら、この長い受験生活と制作活動を並行する過程で、“アートをやる意義と目標” を見出してしまったからです。
美大生のアート談義が盛り上がるのは、あらゆる可能性を想像できる状態だからです。
可能性をある程度絞った私は、アート談義を純粋に楽しめないのです。
私の高校時代から、教授もずいぶん入れ替わったようです。
絹谷幸二さんも、大沼映夫さんも退官されています。
想えば、私は東京藝大で、どの先生に指導を受けたいのでしょうか。
世間の知名度ですと、O JUNさん、あるいは会田誠さん、それとも齋藤芽生さんでしょうか。
しかし、これまでに尊敬できるアーティストやアート業界関係者には、アドバイスを頂く機会がありました。
今後もつながったアート業界関係者には、アドバイスを頂く予定です。
つまり、芸大での指導を心待ちにする必要も特にありません。
そもそも私は、なぜ受かるまで受け続けたのでしょう。
肩書きでしょうか。
私は、肩書きも必要と思いません。
「私は芸大です」と、どこかで言ってしまうと嫌味に聞かれてしまうかも知れません。
作家活動のプロフィールに入れることも、大学名を利用しているようで馴染めません。
想ば想うほど、私は芸大入学の適正な時期を逸してしまった、と痛感するのです。