“休憩”に対する考え方

 

 
勉強、スポーツ、仕事…。
これらの人間活動において、よく推奨されるのが、“細かな休憩” です。
「勉強は180分続けるより、30分おきに5分休むべき」など聞いたことがあると思います。
 
“細かな休憩” は、“効率” を重視した論理的で科学的な意見です。
そのため、多くの人が納得し、実践を試みているでしょう。
 
しかし、本当に“細かな休憩” で効率が上がり、成果は出ているのでしょうか。
 
私は、“細かな休憩” は、“逆効果” だと考えていますし、実際にそう感じます。
 
なぜなら、作業が勢いに乗ったところで、強制的に休憩を入れる。
それは、スピードに乗った自動車を急停車するのと同じで、急ブレーキによる負担が激しいのです。
 
しかも、その負担は、次のアクセルを踏むのに影響することもあります。
勢いに乗った作業の手を急に休めてしまうと、次に同じ勢いを乗せるのは至難の技でなのです。
 
だからこそ、一日の作業開始時に、1番集中するわけです。
 
いかがでしょうか。
もちろん個人差はあると思います。
 
しかし、実際に勉強や絵画やスポーツの練習など、一気に長時間続けたほうが一日のトータル量は大きくなっているのではないでしょうか。
 
何より、“ノっている” 状態は貴重です。
そんな時は、後の体力や集中力の低下など気にせず、突っ走るべきなのです。
多少集中力や体力が多少落ちようとも、結果的には大きく作業を進めることができるのです。
 
“細かな休憩” 理論は、人間活動を科学的に見て、正解を導いているのでしょう。
しかし、そこでの正解は、体力や集中力の効率においてです。
 
重要な “人の気分” という要素が抜け落ちているのです。