誰かに喜んでもらうために制作する、は価値あることか

 

 
誰かに喜んでもらいたい。
誰かに楽しんでもらいたい。
誰かに衝撃を与えたい。
 
アート作品を制作するにあたって、“特定の誰か” に向けて制作することは正しいのでしょうか。
 
“特定の誰か” のために制作することは、たった一人のために作品を手がけるということです。
たった一人のためにですが、その一人を満たすために工夫されています。
 
一人に絞って制作されているからこそ、強く伝える力を作品が持つのです。
つまり、“誰か” に喜んでもらうために制作することは、最も価値があることなのです。
 
 
結局、アート作品を制作するとき、“誰かのため” を意識しなくとも、“誰かのために” 制作していることになります。
なぜなら、作品を制作して残すということは、作品を誰かに見せることになります。
誰かに見せることになる時点で、その “誰かのために” 制作していることになるのです。
 
どう感じるかなど関係なく、作品を制作するということは、人という仲間への実践なのです。
 
作品を制作することが “誰か” のためであるなら、作品を “特定の誰か” に向けて制作することは、とても理にかなっています。
 
“不特定多数の誰か” より “特定の誰か” に向けて制作された作品のほうが、明確な表現を持つことになります。
恋人の世代全体をターゲットにした作品と、恋人だけをターゲットにした作品は、表現の個性に圧倒的な差が出るはずです。
 
「アーティストとして活躍したい。」と考えたとき、“誰か” に認められなくてはいけません。
その “誰か” は、「美術関係者の誰か」ではなく、「特定の誰か」にすべきなのです。
 
そして、“誰かに喜んでもらうために制作する” ことは、自分の表現を高め、その表現が伝わるかを確かめることにもなります。
 
自分で自分の作品を見て満足できればいい。
と考える人もいるでしょう。
しかし、せっかく作品という “形” を残すのであれば、誰かを喜ばすために制作したほうが張り合いがあります。
 
そして、自分自身も制作を楽しめるはずです。