アーティストが作品を制作する大きな目的は、誰かに見てもらうことです。
誰かにみてもらい、何かを感じたり、考えてもらうのが、芸術の醍醐味です。
そして誰かに作品を見てもらえば、感想や意見をもらうことがあります。
これも制作活動の醍醐味といえるでしょう。
その感想は、時にうれしく、時に落ち込む意見だったりします。
感想や意見に対し、うれしかったり落ち込んだりするのは、あなたがその言葉を信じた
証拠でもあります。
なぜあなたは感想や意見を信じるのでしょうか。
それは、あなたの作品に意見を言った人は、“本気で思ったこと”を言っているからです。
本気ということは、その意見は“事実”です。
ただし、その意見が事実なのは、“その人にとって”です。
そのため、もらった意見が“あなたにとって”事実なのか、を最終的に判断しなければいけません。
なぜなら、誰かの感想や意見を「信じる」のと、「参考にする」のとは、別の話だからです。
もらった意見が、あなたにとって“事実”なら、参考にするべきです。
しかし、あなたにとって事実でないなら、参考にはならないのです。
ではどうやって、もらった意見が“事実”かどうか判断すればよいのでしょうか。
それは、
もらった意見が、あなた自身で「思っていたこと」「もやもや何となく感じていたこと」
だったかどうかです。
例えば、人物画の作品Aを完成した後、
「背景は黄色が良い感じだけど、顔の部分になんとなく違和感がある」
と思っていたとします。
この人物画の作品Aに、以下の2つの感想をもらったとします。
(1)「緑を使うの珍しいですね〜。表情は笑顔なんですね〜。」
(2)「緑に対して黄色がきれいだね。顔の頬が広いのはワザと?」
おわかりのように、(1)は、ただあなたがわかっていることを、なぞっただけです。
意見をもらえるのはありがたいですが、何の気づきもありません。
一方(2)の場合、「思っていたこと」「もやもや何となく感じていたこと」が両方含まれています。
つまり(2)は、
「緑に対して黄色がきれいだね」という感想は、あなたが「思っていたこと」にあたります。
→ねらい通りに伝わった、ということです。
また、
「顔の頬が広いのはワザと?」は作者が「もやもや何となく感じていたこと」にあたります。
→“何となく”の原因が特定できたわけですから、納得なわけです。
(2)はあなたにとって収穫ある、聞くべき意見となります。
では最後に、「思っていたこと」でも「感じていたこと」でもない“想定外”の意見を
もらった時はどうか。
この場合は、なぜその“想定外”の意見に至ったかを、ヒアリングしましょう。
ヒアリングの結果、あなたの「思っていたこと」「もやもや何となく感じていたこと」
の要素が見つからない場合は、“黙殺”です。
例えば、「あなたの絵はすごすぎる」「あなたに絵のセンスがない」などいわれても、
根拠がなければ、“自分にとっての事実”か検証しようがないからです。
作品に対する意見をもらった時、一喜一憂した後は、
冷静に受け止め、次作にいかせる内容かしっかり検討しましょう。