計算のないアートはない

 

現代アート作品を鑑賞していると、周りで見ている人のコメントが聞こえてくることが
あります。

その中でも、違和感があるコメントの一つが

「計算してるよね〜」

です。

このコメントは作品を前に話している時に、よく聞くコメントです。

「計算してる」と言われる作品があるということは、
逆に「計算してる」と“言われない作品”がある、ということです。

「計算してる」と“言われない作品”は、
「計算してない」あるいは「あまり計算してない」ということになりますよね。

つまり、アート作品には“計算してる作品”と、“計算してない作品”に分かれることになります。

本当にそうなのでしょうか。

例えば、アクション・ペインティングで有名なジャクソン・ポロックさん。
キャンバスを床にひき、上から絵の具をたらして作品を仕上げています。

直接、筆をキャンバスにあてて描いているわけでは、ありません。
しかし、「たらして絵の具が乗った部分」と「何も乗っていない地の部分」の面積が同じに
なるよう計算しています。

「偶然」の要素が強く見えますが、配色、線の構成、作品サイズがもたらす効果、までも
計算されています。
つまりポロックさんの作品要素は全て「計算してる」のです。

では次に、4歳の子どもが絵を描く場合はどうでしょうか。
子どもは、知識も既成概念もないため、「計算してない」のでしょうか。

画用紙にクレヨンで父親と母親の絵を描いたとします。
大抵の子どもの作品は、線や形がつたなく、バランスが崩れています。

しかし、線や形がつたないのは、「計算してない」からそうなったのでは
ありません。
大切な父親と母親を、思い描いたものに近づけるべく、必死に描いているのです。
何も知識がないまま、どう線を描いたらよくなるかを、「計算してる」のです。

それが計算してないように見えるのは、
ただ、思い通りに描けていないからです。

全てのアート作品は、思いや理想を達成させるために、計算して制作されています。
例え、惰性で作った作品があっても、制作され始めた時点であらゆる計算が生じます。

では、全てのアート作品が「計算してる」中、
なぜ「計算してる」と呼ばれる作品が出てくるのでしょう。

それは、アート作品の中でも、特に“計算しているように見える”作品だからです。

代表的な例は、宮島達男さんの“LEDシリーズ”です。
数字がカウントダウンされるパネルが複数あり、それぞれカウントダウンのスピードが
異なるよう設定されています。

・数字が使われている
・マス目状に展開されることが多い
・デジタルな機器が使用されている
・時間の概念があること

上記の作品特徴が、「計算してる」という印象を際立たせているのです。

つまり、「計算してるよね〜」というコメントは、計算しているように見えた「印象」を
語っているわけです。

計算してる「印象」が強いものだけが、計算している作品ではありません。
全てのアート作品は計算されています。

私は、作品の印象を問わず、気になった作品にどんな計算があったか
考察するのが楽しみです。

 

Pocket
LINEで送る

Comments are closed.