もう聞きたくない、大人の言い回し

 

世の中には、天才・偉人と呼ばれるような、著名人について書かれた書籍やブログが、無数にあります。
当然、著名人がなぜ凄いのかを分析する内容がほとんどです。

その中には、著名人の苦労や挫折を描き、そこからどうチャンスを切り開いたかをストーリー仕立てで書かれたものもあります。

なぜ、著名人の苦労話をわざわざ書くのでしょうか。

それは、一般の人々に希望を与えるために書かれているのです。

今の旬でいえば、
「あんなに凄いタモリも、昔は今のようなスタイルがなくて、苦労していたんだよ。」
といった具合です。

イチローさんの苦労話、本田圭佑さんの苦労話、村上隆さんの苦労話、などなど無数にあります。

苦労話をすることで、一般人に夢や希望を与える。
そのことに私は異論なく、大賛成です。

しかし、文化人の方やブロガーの方は、その夢や希望を与える話を書いたあと、ほぼ必ず次のフレーズを入れます。

「“ 誰もが◯◯◯◯のようになれるわけではない” しかし、努力すれば少しは……」

よく見ますよね。“誰もが◯◯◯◯のようになれるわけではない”
というフレーズ。

そうです。書き手は文章に “保険” をかけているのです。

読み手に夢と希望を与えるストーリーを提示して盛り上げておき、
最後には「でもやっぱり、著名人はあなたたちとは違うよ。」と読み手に警告するのです。

このフレーズを見かける度、私はがっかりさせられます。
そうか、私も夢や希望はもっちゃいけないのか……というがっかりではありませんよ。

“書き手の覚悟のなさ”

に対してがっかりするのです。

書いたものが世の中に広く読まれる文化人やブロガーは、
種類は違えど、成功したスポーツ選手やアーティストと同じように、人々に楽しみを与えるエンターテイナーです。

にもかかわらず、人々が著名人のストーリーに興奮し、感動し、やる気を持たせた後、文章の結末で警告する。

「私はちゃんと警告しましたよ。誰もが◯◯◯◯のようになれるわけではない、と。
だから、期待して頑張って大きな成功を収められなくても文句言わないでね」と。

盛り下がりますよね。

そんなに心配しなくたって、読者は大成功しなくても、あなたのせいにはしませんよ。
って思いませんか。

エンターテイナーである書き手には、文章の最後まで保険などかけず、希望を持てるストーリーを語りきってもらいたいんです。

それが、ストーリーであることは、参加者全員が理解しているのだから。

 

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