検索は、世界からイメージを消していく

 

 
思い出は、五感のそれぞれに残っていきます。
その中でも視覚、すなわちイメージが、記憶の大きなウエイトを占めます。
 
幼い頃、学生の頃、働きはじめた頃、それぞれで見てきたモノを人は覚えています。
おじいちゃんに造ってもらったオモチャの造形、小学校の時親にプレゼントされた文具の梱包、初任給で食べたレストランの料理の盛付け…
 
 
現代は、そんな思い出というイメージと、あるイメージが並走する時代となりました。
 
それは、“最適化された検索結果” です。
 
 
スマホとインターネットの普及により、あらゆる情報に “検索” で一瞬にして辿り着けるようになりました。
いまや、人びとは毎日を “検索” の中で生きるようになっています。
 
“検索” は、対象のキーワードと一致したものが、順番に現れます。
人々の “大多数にふさわしい” とされた結果ほど上位に表示されるのです。
 
この検索結果は、キーワードの説明だけでなく、「イメージ」や「動画」などのメディアイメージも検索の対象となっています。
 
中でも、「イメージ」の検索結果は、いとも簡単に、知らなかったモノを視覚化させてしまいます。
 
そして、検索の上位イメージが固定されればされるほど、多くの人が思い描くイメージは “最適化” されたモノで共通化されていきます。
 
30年前に故郷で見た『郵便ポスト』の記憶は、検索結果の最適化された『郵便ポスト』に塗り替えられていくのです。
 
記憶だけではありません…。
 
あなたのおばあちゃんが作ってくれたお雑煮も、その記憶が塗り替えられると、あなたが孫に作ってあげるお雑煮は、“最適化されたお雑煮” になるのです。
 
そして、世の中から、個々の記憶イメージは、“存在の可能性ごと” 消えていくのです。
 
 
 
 
 
 

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