東京都議会でのセクハラやじ問題がニュースになっていますね。
都議会自民党の鈴木章浩(あきひろ)議員(51)が、塩村文夏(あやか)議員(35)に対し「早く結婚した方がいい」と発言した問題です。
アートとは一見関係のないニュースです。
しかし、私は “想像力” が重要という意味で、アートと政治(だけじゃないですが)は共通していると考えます。
つまり、今回のセクハラやじ問題は、鈴木議員の政治家としての職業における “想像力” が欠如していたために起きたのです。
マスコミの批判がすべて正しいかどうかには触れません。
(鈴木議員の会見を見ると、エリート記者たちが、やる気満々に批判論理を完成させるためだけに質問しているのがよくわかります。)
もともと、塩村議員は、女性の晩婚化や不妊治療の増加という事実のもと、“支援の充実が必要” と “想像” して質したわけです。
つまり、塩村議員は政治家としての “想像力” を用いて意見を述べているのです。
これに対して、鈴木議員は 「“想像力” による意見」を批判するのではなく、「意見する権利」を批判しました。
つまり、あの「早く結婚した方がいい」というヤジの裏には、「“想像力” でものを言うな」という意味が込められているのです。
つまり鈴木議員は、政治家である塩村議員に、政治家としての “想像力” を使用するな、とヤジをとばしてしまったのです。
ということは、鈴木議員はいったい何を持って政治をするのでしょうか。
政治家は政治をする専門家ですが、日本の未来を “想像する” 専門家です。
つまり政治家としての “想像力” をフルに使うのが仕事なわけです。
この重要な “想像力” を、鈴木議員は否定してしまったのです。
政治家に限らず、人は明日を想像力を駆使しなければ生きていくことはできません。
明日、自分が「どのように一日を過ごすか」をイメージできているからこそ、起きるべき時間に起き、料理のために必要な買い物したり、電車に乗って通勤したり、友人と夕食を共にしたりできるのです。
生活においても、“想像力” を放棄してしまうと、重大な問題を起こしてしまったり、大切な人を傷つけてしまうことにつながります。
“想像力” という言葉は、アーティストやクリエイターが作品をつくる時に使用するだけの力ではなく、誰もが磨かなくてはならない力なのです。