「何かを成し遂げたい」
「何かを頑張りたい」
と考えている人。
悪い意味ではなく、精神が飢えています。
その精神の飢えが、モノゴトへの打ち込みや、目標を持つことにつながるります。
しかし、そんな中でも。
「最近 “やる気” がない」
「どうしても “やる気” が出ない」
といった言葉を、人は口にしてしまうものです。
たとえば、アート作品の制作なら、、
「制作を進めなくてはいけない」
「年内には大作を仕上げたい」
という目標があるにも関わらず、なかなか気分が乗らない。
といったときがあるかと思います。
このように、「“やる気” が出ない」という状態。
一見、仕方がないことのように思えます。
しかし、“やる気” というものは、周期的に “自動でやってくる” ものではありません。
“やる気” は理由があって “必然的” に発生するものなのです。
それなのに多くの人は、何かの拍子やきっかけで、“やる気” が起きるのを “待とう” とするのです。
それは難しい話です。
なぜなら、日本人の多くは、“身体” の要求が見ごとに満たされているからです。
たとえば、12時に昼食を食べて、13時に “やる気” が出るでしょうか。
厳しいですよね。
仕事の日でも休みの日でも、13時に “よっぽどのこと” がない限りは “やる気” を出すことは難しいですよね。
他の時間であっても同じです。
空腹が満たされ、特にやるべきことがない場合、やはり“やる気” を出すのは難しいのです。
身体と精神が接続されている以上、身体の影響を精神は “モロ” に受けてしまいます。
日本では、よほどのことがない限りは、食べ物にも困らないし、寝るところにも、着るものにも困らない。
常に “身体” の要求が満たされているわけです。
多くの人は、「夢」「目標」という“精神の渇望” をもちながらも、身体は常に “満腹状態” なのです。
そうして、“何かをやりたい” という志とは裏腹に、日々の活動時間は “やる気を奪われる時間” の方が多いのです。
“やる気” とは、自動で出せないし、自動で消えていくようになっているのです。日本人の多くは。
では、どうすれば “やる気” を出せるか。
そうです。“追い込む” しかありません。
「やる気がどうこう」という次元を超えた約束、仕事、試練を “自分の身体” にあたえる。
空腹になれば、“食糧“ を確保しなくてはいけません。
寒さを感じれば、“暖” を確保しなくてはいけません。
寝ていても、近くで獣が吠えれば、“起きて逃げ場” を確保しなくてはいけません。
自ら身体が要求を起こす状態を作り、身体を動かす。
身体を動かすことは、精神が求める活動に自動でつながります。