世界の誰か1人に “作品がほしい” と言ってもらう難しさ

 

現在、作品が数十億円で取り引きされているヴィンセント・ファン・ゴッホ。
彼が生涯で売れた作品は、1枚でした。
しかも、買ったのは実の弟。

あまりに有名な話です。


アーティストとは、「アート作品を制作し、世の中にアートを広める仕事をする人」のことです。

つまり、
「このアーティストの作品がほしい!」と “誰か” に思ってもらえないと、どこにもアートは広められないわけです。

逆にいえば、“誰か1人” にでも「作品がほしい」と思ってもらえれば、アートは世に広められるのです。

“たったの1人” で良いのです。

しかも、“特定の誰か” でもありません。


しかし。
売れていないアーティストほど、その “1人” と出会うのが難しいわけです。

なぜ、たった1人に「作品がほしい」と思ってもらうのは難しいのでしょうか。

原因は簡潔です。

「誰か1人にほしいと思ってもらえれば」というアーティストほど、作品を見てもらえる機会がないためです。


機会を自分で作れば良いか?

いえ、簡単には作れません。
道端で展示しようと、ネットで展示しようと、簡単には誰かを振り向かせられません。

なぜなら、人を振り向かせるには、それ相応の “然るべき場所” があるからです。
“然るべき場所” に置かれてない作品は、“基本的な信用” を持たないのです。

“基本的な信用”を持つのが、有名美術館であり、有名ギャラリーであり、有名評論家からの評価な訳です。


つまり、「誰か1人に作品をほしい」と思ってもらうには、“然るべき場所” に作品を置かなくてはいけません。

それは、とても “過酷な世界” です。

“世界の誰か” はおろか、“国内の誰か” にすら見てもらうことも難しいということです。

「売れているアーティストほど作品を見てもらう機会が多く、
売れていないアーティストほど作品を見てもらう機会がない」ということです。


いつか誰かが、見てくれる。

その想いは、“然るべき場所” への架け橋を持たない限り、現実にすることは難しいでしょう。


 




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