アート作品の制作には、人それぞれの “作風” があります。
作風とは、プロにだけ当てはまる言葉ではなく、どんな人も、“形にした瞬間から” 作風が生じます。
描き方、色使い、形の入れ方など、様々な要素とその組み合わせが、 “作風” の要因となります。
そして、自分はどのような “作風” にするか、というのはかなり重要な課題となります。
なぜなら、作風はその人のアイデンティティーとも見なされるからです。
作風については、誰かのアドバイスをもらったとしても、結局自分で判断しなくてはいけません。
本当に相手のアドバイスが腹に落ちないと、納得はできないからです。
しかし難しいのは、自分自身の中にも、“様々なタイプの納得” が存在することです。
つまり、自分自身の中にある様々な価値観が、“様々なタイプの納得” を生み出してしまうのです。
例えば、キレイな作風を良いとする感覚と、重々しい作風を良いとする感覚、あるいは超インテリな作風を良いとする感覚。
こうした様々な感覚は、「人それぞれ」ではなく、自分自身の中に「同居」するのです。
だから、“それっぽい” アドバイスを複数もらうと、それぞれが正しく感じてしまうのです。
結局、自分の中に同居する複数の価値の中で、自分が制作していく作風を選ばなければいけない。ということです。
作風を決めなければ、延々と「本当に自分に合う作風」という、“存在しない作風” を求めて、作風を変え続けなくてはいけなくなります。
「作風を変えず続けて、その作風の表現の可能性があまりない、と気づいてしまったらどうするのか」
と考える人もいると思います。
そういう日は、いつかきます。
作風と付き合い続ければ、限界が見えてくるものだからです。
しかしその時は、スッパリその作風をやめて、次の作風を選べば良いだけです。
それまでの作風をやめるべき時こそ、それまでの作風をまっとうした時なのです。
結局どんなアーティストも、
限界まである作風を突き詰め、限界がけたら次の作風に移るのサイクルを辿っています。
しかし、そんなに簡単に作風の限界がわかるものではないため、かなりの年数をかけてサイクルを辿ることになるのです。
とにかく、一つの作風をまっとうするまでやってみることです。