美術系の学校などで、描き進めた絵に対し、「もっと描き込まないと」と指導されることがあります。
“描き込み” とは、文字通りの意味で、細かく描くことや、描写を加える量を増やすことです。
美術系の学校では、モチーフに対して本物に近づけるように描くことが主なゴールとされています。
そのため、モチーフの細部と同じ部分が描かれていないと、すぐに「もっと描き込まないと」と言われることになります。
これは、絵の完成に “描き込み” がなければならない、という思い込みからの発言です。
モチーフの持つ細部と同様に、細部を描くという写実中心の考えが根底にあります。
特に、美術系の学校では、“描き込み” を軸にした方が説明しやすいのです。
目の前のモチーフに頼っているわけです。
そのため、あまり考えず「描き込みが足りない!」という発言を指導サイドはしてしまうのです。
本来は、描き進められた絵に対し、“何か” が足りないと感じているから指導サイドは“描き込み” を指摘しています。
その、“何かが足りない” の “何か” は、描き込みとは限らない、という話なのです。
ここをしっかりと認識しておかないと、困ったら描き込む、という手段を毎回選ぶことになります。
例えば、“顔が描かれていない” 人物画がありました。
その人物画に対し、あなたは “何か” が足りないと感じます。
どうしますか?
この場合、多くの人は
「顔の中身(眼鼻口)を描かないと…」
と感じるでしょう。
しかしそれは、“写実を完成に求めた場合” の結論です。
別に、顔の中に花を描いても良いし、顔の中に雑誌の切り抜きをコラージュしてと良いのです。
「そんなの間違っている」
と思った人は、もう一度アートの存在意義を考えましょう。
アートは、みんなが求める完成にたどり着くものでしょうか?
違いますよね。
アートは、みんなが知らなかった完成にたどり着いた時に感動が生まれるのです。
だから、完成方法に、正しいも間違いもないのです。
「描き込み不足!」と指摘するのであれば、まずは、
「写実的にしっかりと仕上げるのなら、モチーフの細部をもっと描き込まないと」
と指導すべきなのです。