芸術で成功した人に対して、
「才能に恵まれていた」という言い方はしても
「環境に恵まれていた」という言い方はあまりしませんよね。
私はこのことにずっと疑問を感じているのです。
芸術の成功は、「才能」より「環境」が負けず劣らず大きいから。
ダビンチもピカソも裕福な家庭に育ち、
幼い頃から芸術の鍛錬を積み上げました。
その蓄積の上に、数々の傑作があります。
例えばこの二人が、両親の経済レベルが中流以下、かつ両親は芸術を知らず、
画材一つも与えられたことがなかった。
しかも、20歳まで絵を描いた経験がなかった、とします。
それぞれ20歳の時、たまたま行くことになった聖堂や美術館で
芸術作品の素晴らしさを目の当たりにします。
芸術への意識は目覚め、20歳で制作をスタートさせたとします。
僅かな資金援助をもとに…。
この場合、二人は歴史に残る成果はおそらく
挙げられなかったでしょう。
「岩窟の聖母」も「ゲルニカ」も、お目にかかれなかったでしょう。
才能以前に、育った環境が圧倒的に違うからです。
この例えに対して、
「そんなの現代みたいに平等な時代じゃないんだから、
環境で差がつくのは当たり前じゃん」
と思うかもしれません。
しかし、現代の日本国内だけを見ても、このような
「環境に恵まれているか」という条件が作家の活躍を左右します。
しかも、ダビンチの時代よりも、芸術家として活躍するための
「環境的な条件」が多いうえ、その条件を満たしている人は多くありません。
その条件は、以下の4つです。
(1)経済
➡︎制作活動を継続できる資金。
(2)教育
➡︎芸術の知識や制作技術の習得。
(3)場所
➡︎制作モチーフやテーマが得られる町に住む。
➡︎制作スペースを持つ。
(4)時間
➡︎活躍している作家に劣らない位、制作時間を確保する。
の4つです。
どうでしょうか?
4つの一つでも欠けると、かなり活躍が難しくなると思いませんか。
ちなみに、お気づきかと思いますが、
(1)に挙げた、
「経済」の条件を大きく満たしている場合(資金が潤沢)は、
(2)(3)(4)もクリアできるでしょう。
「資金」や「場所」や「時間」がなくたって、
“良い作品”は描けると思うかも知れません。
しかし、他の人と同じ環境レベルで制作していると、
“良い作品”のレベルも同じになってしまうんです。
作品にかけた時間や、画材まで似てしまいます。
一方、「環境条件」を満たした人は、表現にあらゆる可能性が広がります。
幅10メートルの絵画や、最新の素材を使った作品など、自由に差別化を図れます。
アーティストとして活躍したい方は、
「俺には芸術の才能があるのか?」と悩むより、
上記の「環境条件」が整えられるかを、まず検討すべきです。