村上隆さんが東京五輪の公式マスコットキャラクターを担当するのではないか、
という話題に対し、賛否両論が起きているそうです。
“賛”は置いとくとして、問題は“否”の方。
何でも、「オタク文化を利用し商売している」アーティストであることが理由らしいです。
以前から村上隆さんは「オタクを搾取している」と批判されていますが、
私はこの批判に説得力のかけらもないと思います。
そもそも、村上隆さんはアニメーターを志していた、いわばオタクです。
「オタク文化を利用し商売している」らしいですが、
オタクがオタク文化的な表現を選ぶのは自然でしょう。
村上隆さんは90年代に成功を夢見てアメリカに渡り、現在の表現に至るわけです。
他国に直接ふれて自国文化を意識し、アニメ的な絵画やフィギュアの制作に舵をきります。
自国文化を意識した際、色々な選択肢があったでしょう。
にもかかわらず、村上隆さんはアニメ文化を選んだわけです。
それだけアニメが好きで、アニメを信頼していたということでしょう。
批判している方に私がお聞きしたいのは、外国人が同じ作風、コンセプトで作品を
作って、同じくらい評価されていたらどうですか? ということです。
もっと批判するんじゃないですか。
日本のサブカルチャーを外国人が利用するなっていう論理で。
それなら、日本人が表現した方がましってことですよね。
しかも、同じオタクが表現した方が。
さらに、外国人がアニメ表現して賞賛されて、気にもとめない場合。
この場合は、ご近所さん(日本人)が成功したことへの嫉妬に他なりません。
村上隆さんがあの表現をしているのには、ちゃんと必然性があります。
アニメーターになりたかったこと、伝統的な日本画、現代美術を学んだこと。
“日本のアニメ文化に影響された日本人アーティストの作品が、現代アートの世界で通じた”
この正当性を端にやり、個人批判することに意味がありません。
成功したことへの嫉妬でしたら、村上隆さんが批判される筋合いはありません。
大きな成果を出した人が有名になる、というのは人類の摂理だから。
村上隆さんの風体や言動がエラそうで、なんか嫌い?
確かに歯に衣着せぬもの言いもありますが、
それもアニメ文化に影響を受けた作品とは関係ありません。
差別とか、政治的な発言もしてませんしね。
結局、村上隆さんへの批判は、
「俺たちが気に入らない奴は、俺たちのアニメ表現をするな」
という、傲慢な理屈が明るみになるだけなのです。
そもそも、アニメ表現は誰かのものではないし、誰が表現しても良いのです。
日本人が生み出しましたが、外国人が表現しても良いのです。
近視眼になって、批判要素ばかり探すのはもったいないことです。
視野を広げて、公正にアーティストを評価しましょう。
また村上隆さんは現代アートで屈指の売れっ子ですが、稼いだお金は全て、
アート活動や次世代への育成に費やしています。
まさにアーティストの模範ですね。今後もどんどん商売して頂きたいです。