子どもが描く絵の評価

 

「子どもの絵はすばらしい」という話をよく聞きます。
確かに、子どもが描いた絵ですばらしい作品はたくさんあります。

しかし私は、子どもの絵を無条件に「すばらしい」とは考えません。
子どもの絵で「すばらしい」作品には、条件があります。

それは、
「既成概念のない、子ども独自の視点や発想がこめられている作品」
です。

平均的な大人なら誰でも表現できてしまうような作品を、幼い年齢の子どもが表現できたことを評価してしまう。

歴史に残るアート作品、現代アートの作品、いずれも大人が制作したものです。
既成概念をいかに突破できるかを、既成概念にまみれた大人が研究してきたわけです。

子どもは、既成概念がないため、いともたやすく新しい視点や考え方の作品を生みだすことがあります。
そんな作品は、大人から見るととても斬新で、知らなかった価値を学ぶことができます。

一方、私が “「すばらしい」作品としない作品” があります。

それは、
「大人顔負けの、高い技術がこめられただけの作品」
です。

細かく点描された作品、近代絵画の画風を忠実に再現した作品、デッサン力を前面に出した作品、など。
平均的な大人なら、誰でも表現できてしまうような作品は評価できません。

アーティストになる人は、子どもの頃、絵が得意だったという人が多いでしょう。
「作品がコンクールで入賞したこと」がアートの道へ進む決め手になっている人も多いのではないでしょうか。

こういった、子どもが参加する展覧会で、しばしば問題となる評価が見受けられます。
工芸的に優れた、子どもの「技術力」を最終的に評価してしまうコンクールです。

こういったコンクールは、作品を評価する意義がほとんどありません。
子どもの “成長スピード” を評価しているにすぎないからです。

こういったコンクールで「技術力」を評価された子どもは、アートにおいては「技術力が重要だ」と悟るでしょう。
一個人が悟ことはまだしも、
参加した子どもたち全体が、「技術力」を評価された結果を見て、「技術力が重要」と受け取ってしまう。
これが問題です。

「技術力が重要」と子どもたちが認識してしまう。
それは、平均的な大人が描けてしまう作品を「すばらしい作品」と認識することになってしまうのです。

平均的な大人が描けてしまう「技術力」の重要性ではなく、
平均的な大人が想像できない「発想力」の重要性を、子どもに教えるべきなのです。

 

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