草間彌生さんの作品は、鑑賞者も護っている

 

今日は草間彌生さんの誕生日ということで、草間彌生さんの作品について書きます。

草間彌生さんと聞くと、誰もがあの「水玉」や「水玉のカボチャ」を思い浮かべるのではないでしょうか。

あの「水玉」表現は、すでに草間さんが子どもの頃から、きっかけとなる表現がはじまっています。

幼少より統合失調症だったのは有名な話ですが、それが水玉作品にも関連しているのです。

草間彌生さんは、統合失調症の症状から逃れるために、子どもの頃から画面の中を模様やタッチで埋め尽くす作品を描いています。

画面の中に空白があると、症状の入る余地があると感じてしまうのでしょう。

空白を埋め尽くし、症状の入る余地をなくす。

つまり、症状から “身を護っている” います。

そうした画面を埋める模様やタッチが、やがて水玉にたどりつくのです。

水玉という模様は、世の中のあらゆる場所に浸透しています。

そのため、草間彌生さんの作品に人気があるのも納得できます。

しかし、人気の理由はそれだけでしょうか。

草間彌生さんは自らの身を護るために、画面や彫刻や部屋の壁全体を、水玉で埋め尽くしています。

この表現は一見、草間彌生さんご自身のためにされた表現と思われます。

しかし実は、この表現は草間彌生さんご自身だけでなく、鑑賞者もその “水玉により護られる” のです。

親しみやすい水玉で埋められた絵画や彫刻は、

「水玉がスタートで、水玉がゴール」です。

すべてが水玉で余計な空間が存在しないため、鑑賞者はあらゆる想像をする必要がなくなり、水玉の世界の内側に入ることになります。

その水玉で護られた世界で、鑑賞者も不思議な “安心感” を持てるのです。

草間彌生さんは作品制作で自らを “護り” 、

できあがった作品を介して、鑑賞者をも “護って” いるのです。

水玉はただ親しみを持てるという表現ではなく、アーティストと鑑賞者の関係性を構築する表現なのです。

 

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