“オリジナル” と “場所” の関係

 

 
現代アートにおいて世界で活躍したい場合、世界という“場所” にこれまでなかつた作品を制作しなくてはいけません。
なぜなら、誰も見たことのない “オリジナル” の作品でなければ、新しい歴史を刻むことができないからです。
 
こうしたことを書くと、
アートは世界に二つとない、オリジナル作品を作らないと価値がないのか、
思われるかも知れません。
 
しかし、そんなことはありません。
ほぼ同じような作品でも、場所が違うと、その場所での“オリジナル作品” になります。
そして、その場所における “オリジナル作品” との出会うことが、人生に影響を与えます。
 
たとえば、ある地方にフィンセント・ファン・ゴッホが好きなAさんがいます。
Aさんは好きなゴッホの作品を真似て絵を描くのが趣味です。
 
ある時、Aさんの展示風景をたまたま見たBさんが、Aさんのゴッホ調の作品に衝撃を受け、アートに興味を持ったとします。
その場合、Bさんにとってのオリジナル表現は、Aさんの絵画なのです。
 
たとえ、世界に通じるオリジナル作品をつくれなくても、誰かがつくった作品は、誰かにとってのオリジナル作品になりうるのです。
 
他のことでも似た現象は多くあります。
 
Cさんは買い物に出かけて、お昼に中華が食べたくなったとします。
その場合、Cさんのいるエリアにある、評価の高い店をスマホで調べる時もあれば、
10分くらいプラプラと歩いて “良さげ” なお店に入る場合もあります。
 
Cさんのその日の昼食は、その時食べた一食分の中華が、唯一の “オリジナル” です。
二度と同じシチュエーションの食事はありません。
しかし、二度と同じシチュエーションがないからといって、広範囲のエリアで徹底的に一番価値ある中華を検討することはないでしょう。
Cさんにとっては、あらゆる中華がオリジナルとして価値を持つ(食す)可能性があるのです。
 
 
また、エアコンをインターネットで安く買いたい。
GoogleやYahooなどで検索しますね。
 
検索結果はゴマンと出ます。
しかし、全てのエアコン販売店をチェックする人はいません。
 
その捜索時間の中で、良さそうなものが最終的に選ばれ、その人の唯一の所有物(オリジナル)となるのです。
 
 
話はアート作品に戻ります。
 
もし、自身の作品が “オリジナル” の価値と認められないなら。
もし、自身の作品を “オリジナル” の価値があると認められたいなら。
 
その時は、まず “場所” を変えてみることです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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