非効率のための効率化

 

 
アート作品を制作し、作品の売上で生活しているアーティストがいます。
そのアーティストにとって、アートは仕事です。
 
仕事であるからには、効率が求められます。
なぜなら、一般の商品でいえば、生産者は他の生産者より多くの商品を生産・販売しなくてはならず、そのためには効率を高めるのは必須だからです。
 
ゆえに、アートを仕事にしているアーティストは、作品を生産するという意味で、効率を高める必要があるのです。
生活を維持するのが作品売上の最低ラインであれば、それを維持するに見合った生産効率が必要になります。
 
つまり、仕事でもアートでも “効率” を意識せざるを得ないということです。
 
 
しかし。
 
“効率” を高める努力をして、新しい作品や商品がうまれるわけではありません。
“効率” を高める努力をして生まれるのは、あくまで「生産性」や「時間」です。
 
 
では、今までにない新しい作品や商品を生み出すには、どうすれば良いか。
 
そのために必要なのは、研究・開発です。
そして研究・開発には、多くの失敗を伴う “実験” が必須です。
 
しかし “多くの失敗” を伴う時点で、実験というものは、“非効率” です。
効率とは反対ですね。
それでも、実験がなければ、新しい作品や商品は生まれません。
 
実験という “非効率” なものを多く行うために、生産性や時間を生む “効率” が必須なのです。
つまり、新しいものを生み出すには、“非効率” のための “効率” がいるのです。
 
実験とは、実験室でガチガチに研究することだけではありません。
 
映画を観たり、アウトドアをしたり、友人と会話したり、公園でノンビリしたり、あらゆる “非効率” と思えることが、発想のための素材となり、素材同士の結合(発想)につながるのです。
 
“効率化” とは、“非効率” のためにも、存在しているのです。
 
 
 
 
 
 

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