作品がある現場と、その記事との、決定的な違い

 

前回のエントリーで、現代アートの現状を知るには、美術館やギャラリーなど、 “作品が存在する場所” に行くことと、インターネットや雑誌での情報収集があることを書きました。

前者は “作品がある現場” で、後者の情報収集方法は “作品がない現場” です。

これらには、作品を実物で見るか、写真や画像といった複製で見るか、という違いがあります。
このあたりについては、過去のエントリーでも書きました。

そして“作品がある現場” に行けない場合は、当然、インターネットや雑誌、あるいは現場に行った人から話を聞く、という方法で現場の情報を収集します。


そうした情報収集の際、最も気をつけなくてはいけないことがあります。
それは、「作品ががある現場で得る情報」と、「現場のレポートで得る情報」の違いです。

現場情報と、レポート情報の最大の違い。

それは、“記者というフィルターを介しているかどうか”です。

この違い、一見当たり前ですね。
しかし、私たちは無意識のうちに、「記者の記事が主要な部分を抑えている」と思い込みがちです。

例えば、前回のエントリーでも書いたアートフェアでいいますと、
「各作品の売れ行き」や「作品の値付け」など、
公の記事にされない貴重な情報は、アートフェアの記事になることは、ほぼありません。

しかし、記者が書いた記事は、視点や取材内容が魅力的で、時に “現場に行くより充実した情報を得た気持ち” になるものです。

そして、実際に現場で得る情報を、知らないままになってしまうのです。

誰かの記事を読むことで、新しい考えや気づきが生まれることはあります。
しかしそれは、誰かの情報、誰かの視点、を介しています。

現場に行くことは、“多くの情報” に関わることになります。
ゆえに、自身が得る情報は、無意識に “多くの情報からセレクトする” という独自性を介すのです。

この独自性を介すことが存分に発揮できるのが、作品が存在する現場なのです。


 



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