本当にやりたい表現が、見えるとき

 

はじめて描いた絵を憶えているでしょうか。

また、そのときの気持ちを憶えているでしょうか。

はじめて絵を描いたとき。
それは、自分がやりたいことが純粋に表れます。

なぜなら、“画材や技法の制限” がないからです。


絵画を描き続けると、何かと制限を気にすることが多くなるものです。

「こう絵の具を乗せると、にごる」
「こう描き込むと、浅くなる」

など “一歩先” を読むことが増えるのです。
そして、一般的に無難な作風、これまででほめられた作風の “近所” を行き来するのです。
それはスランプであり、退屈さを呼んでしまいます。


そんなとき、“はじめて描いた絵” や “数年ぶりに描いた” 絵などを思い返すのです。

すると、自分がどんな風にモチーフを表現したかったのか、どんな風に絵の具を使用したかったのか、を再認識できます。


私は、もともと “淡い絵” を描きたいという衝動がありました。

そして、数年ぶりに油絵を描いたとき、“淡い絵” を描いて気分が高揚したのを憶えています。

しかし、その “淡い絵” は、当時の指導者に「油絵ぽくない」と注意され、厚塗りを強要されました。
その指導を守れば守るほど、私の個性は沈んでしまったわけです。

当時の常識(田舎の美術機関では油絵は厚塗りする、ということ)を否定するわけではありません。
それはそれで、「オーソドックス」な表現を体得できたわけです。

重要なのは、自分だけの “本当にしたい表現” を探すとき、絵画の既成概念がなかった “はじめて描いた絵” にヒントが隠されているということです。

はじめて絵を描いたとき、多くの規制を受ける人もいるでしょう。
そんな人も、はじめて画材とキャンバスをあつかう意識を持てば、“本当にしたい表現” を感じることができるかもしれません。

それでも、“本当にしたい表現” がつかめないとき。
そんなときは、思い切って “違うメディア” を試しましょう。

彫刻表現でも、映像表現でも、“本当にしたい表現” のカケラが見いだせるはずです。


そもそも、アートの価値は、“既成概念” を打ち破ることにあります。

「どんな素材でもできる」「どんな条件でもできる」

という、強い思いや姿勢がなければ、型破りな表現などできないのです。


 



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