機会の多さは価値を生む

 

 
世の中にあるアート作品には、「作品価値」があります。
 
作品価値には当然、価値が高いとされるものから、価値が低いとされるものがあります。
 
なぜ、「作品価値」という概念には、価値の高低差が生まれるのでしょうか。
 
それは、人々の認知度が大きく関係しています。
 
つまり、“どれだけ知られているか” が作品価値の高低差を生むのです。
よく見られる、よく耳にする、といった形で多くの人に知られたものは作品価値を高めます。
 
だからこそ、レオナルド・ダ・ビンチの『モナ・リザ』は最も価値があるわけです。
本物、偽物、映像、複写…。
最も見られ、噂などの話題も最も耳にする、最も多くの人に知られた作品です。
 
 
もちろん、多くの人に認知されるには、きっかけや特徴となるものが必要です。
ださらこそ作品価値は、誰にも知られる場所になかったとしたら、その価値を高めることはできないのです。
 
逆に考えるなら、作品価値の高低は、“ある程度” 人為的にコントロールすることができる、ということにもなりす。
 
もっとも、多くの人に見せ、多くの人に認知してもらうような “仕掛け” が必要です。
 
 
「多くの人に認知されれば、高い作品価値が出る」
 
この理屈でいえば、「希少価値」に値する、“あまり認知されていない作品” は価値は低いのでしょうか。
 
残念ながら、たいていの場合、“あまり認知されていない作品” は価値を持ちません。
ダイヤ以上の輝きを持つ原石がその辺に転がっていても、その “存在” を知られていなければ誰も拾わないのと同じです。
 
ただ、フェルメールの絵画のように、“作品数が少ない” という “特徴” が話題になり、人々に知られ、ますます価値を高めるということはあります。
 
いずれにしても、希少である事実を “多くの人に知られた時点” で価値を持つことになります。
 
 
アーティストが作品の価値を高めたいと考えるのなら、「見られる」「聞かれる」「触れる」などの機会の多さを重視すべきです。
 
そのためにも、恥ずかしがらず積極的に “人に知られる場所” に出すのが有効なのです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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