前回のエントリーでは、様々な要素での様々な完成度があることを書きました。
しかし逆にアートで面白いのは、“完成していなくても” 完成する作品がある、ということです。
たとえば、
首の失われた『サモトラケのニケ』
腕の失われた『ミロ島のヴィーナス』
夫婦の片側が失われた『マネとマネ夫人像』
これらの作品は、“未完成” であるにもかかわらず、アート関係者を含む多くの人を魅了しています。
他の完成作品がある中、負けずに人々を魅了するこれらの“未完成作品” は、立派な “完成作品” です。
ではなぜこのような“未完成作品” は人々を魅了するのでしょうか。
それは、「作品が “大きな想像の余地” を持っているから」です。
『サモトラケのニケ』の顔はどんなだったのだろう?
『ミロのヴィーナス』はどんなポーズだったのだろう?
『マネとマネ夫人像』のマネ夫人は、どんな描写をされていたのだろう?
鑑賞者は、未完成の作品を前にし、こうした疑問を持たざるを得ません。
その疑問こそが、人々に深い想像を働かせるのです。
以前のエントリーて でも描きましたが、歴史上の名画の中でも特に有名な “超名画” は、人々を惹きつけ続ける “謎” を持っています。
“謎” を持つ作品は、人々に色んなことを想像させ続け、鑑賞され続ける作品になるのです。
しかし、こうした “未完成作品” が “完成作品” となる例は類稀です。
あくまで、“鉄壁な完成度” を誇った上で、“絶妙な箇所” が欠損しているからこそ魅力が増加されるのです。
“未完成の完成” を目指した作品をつくっても、最初に挙げたような作品のクオリティーは生み出すのは難しいのです。
なぜなら、そのクオリティーは、“想像を超えた偶然” がもたらしているからです。
“鉄壁な完成度” も、“絶妙な欠損箇所” も存在しないアート作品には、“未完成の完成” という称号はあり得ません。
完璧な完成を誇る作品が出会った “アクシデント”
人の想像を超えた “偶然” が、“未完成の完成作品” という、人の想像を超えた完成作品を生んだのです。