歴史に残る写実主義

 

 
アートには、昔も今も『写実主義』が存在します。
 
古くは、フランソワ・ミレー『落穂拾い』が有名ですね。
農村をモチーフに “庶民の生活” を初めて『絵画作品』とした作品です。
 
それから後は、多くの “写実主義” 作品が世に出るわけです。
歴史上に様々な “庶民の生活” をテーマにした “写実主義作品” があります。
 
もちろん、日本は古くから “写実主義” といえる作品が存在しています。
『落穂拾い』が誕生するはるか以前からです。
 
しかし、よく考えてみると、日本の “写実主義” が世界に大きなインパクトを与え、アートの歴史に残った例はほとんどありません。
 
 
なぜ、日本の “写実主義” は世界のアート史に残りにくいのでしょうか。
 
考えられるのは、“身分差のギャップの少なさ” や  “文化の均一化” です。
 
 
江戸時代には「士農工商」があり、身分差をなるべく感じさせない配慮が浸透していました。
西欧の貴族と農民の差、欧米の貴族と奴隷の差、それらほどの身分差は日本にはありませんでした。
 
つまり「身分にギャップがあまりない」ということは、庶民の生活を作品にしても、その国では “普通” なわけです。
多くの庶民が “普通の作品” を見ても、インパクトは少ないわけです。
 
 
また、アメリカのGHQに占領された時に証明されたように、日本人の識字率は異常に高く、教育や文化が平等に浸透していたのです。
 
一方で、勤勉や真面目といわれる日本人の文化は、固有の差が生まれにくいわけです。
 
当然、薬やセックスの “日常” を写実するラリー・クラークのような、インパクトある写真は、日本では生まれないということです。
日本人の “庶民の生活” は、“アートにおける” インパクトが少ないのです。
 
つまり、歴史に残るような “写実主義” 作品は、それぞれ国や時代の社会において、“非常識な現実” を記録したものなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Comments are closed.