現代に “孤高の芸術家” は通用するか

 

 
孤独は人を強くする、と云います。
 
では、孤独は作品を強くする、でしょうか。
 
確かに孤独を知ることは、「人の大切さ」を知ることになります。
「人の大切さ」を知れば、人をテーマにしたり、豊かに人を描けるでしょう。
 
だからと言って、わざわざ自分から孤独に飛び込まなくても良いのです。
孤独に飛び込まなくても、人は必ず孤独と向き合うタイミングがあります。
 
人は、人との関わりの中で孤独を知り、人を知るのです。
 
 
むしろ、「孤独を克服すること」に過剰になりすぎると、逆に「孤独を克服する自分」に満足してしまいかねません。
 
人と群れず、孤独を愛す。
といった感じです。
 
 
確かに孤独を気にしない姿は、“強い人間” に見えます。
そして “強い人間” は素敵なアート作品を生み出しそうです。
 
しかし、本当に “孤独な人間” は、アート界に衝撃ある作品を投じることができるでしょうか。
 
 
現代は、言わずもがな、“情報社会” です。
「情報を持っているかどうか」が、モノゴトの結果に絶大な影響をもたらします。
 
孤独な人間は、孤独な分、“情報にも孤独” になる可能性が高まります。
 
 
「孤独でも、インターネットにいくらでも良質な情報があるじゃないか」
と思われるかも知れません。
 
それは、事実であって真実ではありません。
 
なぜならインターネットの情報は、“万人に開かれた情報” です。
万人に開かれた情報は、“デフォルトの情報” です。
 
つまり、インターネットの情報は、自分向けに “カスタマイズ” されていません。
 
 
では、“自分向けにカスタマイズされた情報” は、どうすれば手に入るか。
 
そうです。人からです。
 
インターネットのお宝情報が役に立たない訳ではありません。
しかし、自分に本当に合う情報かは、“周囲の自分を知っている人” こそ知っているのです。
 
そして、周囲に仲間や家族がいれば、自分に合った情報を与えてくれます。
孤独は、“人からの情報” という重要なものに乏しくなるのです。
 
 
人で成り立つ社会の中で、時代と世界の情勢をつかみ、世の中に必要とされる作品をつくる。
そのためには、『孤高のアーティスト』より『ツナガリを持つアーティスト』なのです。
 
 
 
 
 
 
 

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