アート作品の投機目的売買は「悪」か

 

アート作品は、売買されています。

そしてアート作品は、手がけたアーティストが順調に活躍して知名度を上げていくと、時を経るに連れ価値が上昇します。
すなわち、アート作品は買った当時より高い価格で “売る” ことができます。


すると、“高くなったであろう” アート作品は、セカンダリーマーケットであるオークションなどに、出品されることになります。

そうした各オーディションで、アート作品は高額で落札されることがあるわけです。

そのため、“売買による差額での利益のみ” を目的として、短期的に作品を売買する組織あるいは個人がいるわけです。


アート関係者は、こうした “投機目的” によるアート売買に批判的です。

「アート作品は、作品に思い入れを持ってくれる人に “なるべく長く大事に保有” してほしい」

というのが理由です。

確かに、アート作品は思い入れがある人が保持すべき、というのはよくわかります。

作品をぞんざいに扱うような人が保持してしまったら、作品の価値が落ちてしまいます。
また “感情論的” に考えても、アート作品は大切に扱ってほしいですよね。

ただし。

「投機目的でアート作品を売買する人」が作品をぞんざいに扱うかというと、それはNOでしょう。
短期売買していることは、アート作品をぞんざいに扱うかどうかとも、関係がありません。

むしろ、作品を転売するのが最大の目的であれば、作品は大事に扱うはずです。
むしろ、売るつもりがなく、長期的に保有された場合は、保有方法が適したものでないと、アート作品は年数のダメージを背負うことになってしまいます。

つまり、投機目的のアート作品購入者を非難するのは、“手放す早さ” のみを焦点にして語っているのです。

アート作品の “保有精度” で見れば、投機目的の購入を、安易に批判することはできないはずです。

それに、投機目的ということは、その分 “作品の移動” が起こりますから、多くの人が見られる可能性もあるわけです。

つまり、売買されるからこそ、いろんな場所に展示されている、ともいえます。


そもそも、売買の期間で批判することに無理があります。

長期に保有する人が現れても、その個人や団体が永続するわけではありません。
どの道、アート作品はどこかへ移動することになるのです。

移動していくのが宿命であるアート作品に対し、移動までの待ち時間の短さ(短期売買)を批判するのは、あまり意味がありません。

そもそも、短期売買の人も「価値の低下リスク」を抱えて投機していますし、市場とはそういうもの(短期売買など)を含んでいるのです。

アートマーケットだけが、市場原則から逃れられるということは当然ないのです。


 



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