アーティストとして制作活動しても、自身の望む成果が出ない場合、
ややもすると「制作活動を続けるか、やめるか」を考えがちです。
しかし、「制作活動を続けるか、やめるか」を“検討できる状況”と
いうことは、少なくとも、“「続ける」選択肢がある状況” です。
「パンを食べるか、食べないか」を考える人は、いつでもパンを食べることが
可能な人です。
現実的に小麦アレルギーであれば、食べるかどうかを検討できません。
“「食べる」選択肢がない状況” なのです。
制作を“「続ける」選択肢がある状況”なら、続けるかどうかを考える必要は
ありません。
続ければ良いのです。
“やめなければならない状況”にならない限り、やめない。
と自身にルールを決めておけば、迷わずに済むのです。
「思うように成果が出ないから、やめよう」と制作活動を停止したとします。
残りの人生で、“素敵な作品”や、“知っている人の活躍”を目にしたら、
「続けておけばよかった」と“やきもきする”だけです。
上記のように、やきもきしながら制作活動を行わない、
というのは、“我慢してやめている”状態です。
“我慢してやめている”状態って、すごく時間がもったいないですよね。
それなら、“素敵な作品”を目指してずっと制作していれば良いのです。
認められる(世の中に対し、自身が望む成果がでる)かどうかなんて、
ずっと続けてみないとわからないですし、そこを第一の基準にすることは、
「制作」の楽しみを捨てることになります。
(過去エントリー:『なぜ“成功”を目的としてはいけないか』)
「~歳で活躍できなったら、制作をやめる」
「~展で受賞しなかったら、制作やめる」
などの理由も、“我慢してやめている”状態に行き着いてしまいます。
そもそも、“活躍できるか”や“受賞できるか”は、“自分以外の人”が決めることです。
自分以外の人が決める結果を、「続けるか、やめるか」という重大な判断材料に
してしまってはいけません。
自分自身が制作活動を楽しみ、制作活動で人生が充実しているのであれば、
“自分以外の人”が決めたことなんて、大した判断材料にはならないのです。
「制作活動を続けるか、やめるか」を考えられるなら、続ける。
それだけなのです。