アートは “勝ち負け” か

 

「アートは勝負ではない」

この言葉は、当たり前のテーゼのように聞こえますね。
なぜなら、アートという言葉は “自由” を想起させるからです。
自由なアートが、ガチガチの勝負のはずがない、と思えるわけです。

しかし、本当にアートは勝負ではないのでしょうか。


アーティストとして活動するには、常に “勝負のような選定” を通らなくてはいけません。

展覧会コンペ、受験、ギャラリーの審査、企画展コンペ…。
常に勝負し、争っているように見えます。

当然、そこに参加することは、少なからず争いや勝負に巻き込まれることになります。
そして、“勝ち負け” を少なからず算段して制作することになるのです。

こうした勝負の機会は、少しずつアート活動に “勝ち負け” の意識を育てることになります。

“勝ち負け” を否定するわけではありません。
「勝ちたい」「評価されたい」といった強い欲求は、制作への原動力にもなります。
そうした野心や欲も、向上のためには必要なのです。

しかしその力が、過度に “勝ち負け” に向いてしまうことは問題です。


なぜ “勝ち負け” を意識しすぎるのは問題か。

それは、“勝てるイメージの作品” に、アイデアやイメージが引っ張られてしまうからです。
せっかく、自身のテーマやコンセプトがあっても、“勝てるかどうか” ということを意識してしまうと、“勝てるイメージ” を第一に考えてしまうことになります。

結果、本来やりたかったテーマやコンセプトから離れてしまうのです。

アートは自身と向き合う、孤独な研究活動です。
その活動自体に「楽しさ」を見出せないと、華やかな “勝ち負け” の世界に振り回されることになるのです。

というより、実は “負け” にいったほうが、稀少な表現を生む可能性があります。

誰も注目しない精神の場所、誰にも注目されないだろう日常…。
そうしたところに、“本当のアート” が転がっているのです。


 



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