“石膏デッサンは必要か” 議論に終止符

 

 
西欧の有名彫刻のレプリカである石膏像。
中学高校の美術の教室、美術予備校、美大芸大、あるいは美容室や料理屋なんかでも見かける機会があります。
 
ミロのヴィーナス、ブルータス、ラオコーンなど多くの有名彫刻をもとにした石膏像がありますよね。
 
そうした石膏像をデッサンすること(通称:石膏デッサン)が、美術の教育機関では取り入れられています。おそらく西洋画の技法が取り入れられるようになったのと、同時期からと想像されます。
かなり昔からですね。
 
石膏デッサンは、デッサンを訓練する上で避けて通れないものです。
(近年はそんなこともないようですが)
なぜ避けて通れないかというと、美大芸大受験に出題されることがあるからです。
受験に出題される以上、受験生は訓練せざるをえません。
 
出題される理由は、石膏デッサンが「デッサンの実力」を “測定しやすい” ということに尽きるでしょう。
 
立体表現、明暗表現、筋肉骨格の表現、質感表現…。
 
この石膏デッサン。
本来デッサンの基礎として取り組むものですから、ある程度 “ゴール” となる見本があってもいいものです。
ゴールというのは、「これくらい描けたら、石膏デッサンはもうしなくてもいいよ」
というレベル感です。
 
しかし、美大芸大受験にも活用された石膏デッサンは、競争の中で高度なレベルに到達してしまいました。
基礎の表現にアート表現がアドオンされるようになったのです。
でないと、基礎の習熟だけでは、他の受験生に差をつけられないからです。
 
そして、日本製の多機能な電化製品のように、高度なレベルにいきついたものは、宿命となる議論があります。
 
それが、“石膏デッサンは必要か” という議論です。
 
 
私は、この議論は “不毛” だと思います。
 
なぜなら、アートに “絶対必要なもの” などないからです。
 
この議論は、「何か」が “アートの訓練に絶対必要” というのが前提になっています。
“アートに絶対必要なもの” などないため、議論の前提が成り立っていないのです。
 
日本製の家電に多機能性が必要か議論しても、絶対必要、となる機能なんてありませんよね。
 
だから、石膏デッサンの必要性を問うのは、不毛なのです。
べつに、石膏デッサンをしようがしまいが、「傑作」はつくれます。
 
家電がなくても、人は生きれます。
身近でいうなら、エアコン『霧ヶ峰』の『ムーブアイ』は超快適ですが、その機能がなくても夏は乗り切れます。
 
つまり、石膏デッサンにしても、多機能家電にしても、“必要な人には必要” ということです。
 
 
では、石膏デッサンは役に立たないか。
 
そんなことはまったくありません。
多くの貴重なことを学べます。
 
それは、次回のエントリーで書かせていただきます。
 
 
 
 
 
 

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