当ブログ『Atlessのアトラス』では、現代アートを話題にすることをメインにしています。
もちろん、古典の名画や近代の名画が劣っているわけではありません。
むしろ、古典の名画や近代の名画が劣ることのほうが、少ないでしょう。
なぜ現代アートという、現代の作品についてをメインの話題にするのか。
それは、現代アートが “常に過渡期” だからです。
現代アート界は、歴史に新しい価値を刻もうと、常に新しい試みが行われ続けています。
その試み自体が魅力であり、実際に新しい価値を目の当たりにする興奮や喜びがあるわけです。
反対に、新しい価値とならない “大はずれ” の作品も目の当たりにすることがあります。
しかし、そうした “大はずれ” と出会うことも驚きであり、楽しみの一つです。
“大当たり” と “大はずれ” によるダイナミズム。それも、“常に過渡期” である現代アートの魅力そのものなのです。
ではこうした現代アートのような魅力が、古典や近代などの “過去のアート” にはあるでしょうか。
残念ながら、ありません。
なぜなら、“過去のアート” は、すべて “歴史の洗礼” をクリアしているからです。
つまり、“過去のアート” は、すべて、長い年月人々に認められ続けた作品です。
もし、現代までの間に、一度でも “ダメ” と判断され処分された作品は、当たり前ですが、現代人は見ることができません。
現代までに残ってきた作品は、“絶対に良いポイント” がある。ということです。
“絶対に良いポイントがある” という意味において、現代人は “安全な過去の作品” しか見ていないのです。
逆に、“過去の失敗作” を見ることはできない、ともいえます。
“大失敗と大成功の作品が混じった” のが現代アート、“大成功しかない” のが過去のアートです。
これが、「現代アート」と「過去のアート」の最大の違いです。
雑誌やネットで大評判の料理屋は確かに絶品でしょう。
しかし、ときには何の評判も参考にせず、自分の勘で料理屋を試すのも楽しいものです。
大失敗があれば、大成功もある。
それが人生の醍醐味だからです。