安易に “大胆なライン” を使ってはいけない理由

 

シャープでキレのあるラインや、大きな面と面がぶつかるライン。
絵を描いている中で、そうした “大胆なライン” を用いた作品を見ると、憧れることがあります。

「自分もあんな風に “カッコいい線” を使って絵を描きたい」と。

しかも、ラインは簡単に描けてしまうため、余計に試してみたくなります。

そして、実際に試してみると、意外とうまくいきません。
ラインが浮いて見えたり、画面がちぐはぐになったりと、“カッコいい” どころか “混乱” を招くことになりかねません。


なぜ、“大胆なライン” は絵画の中で機能しないのか。

それは、“絵画のために” ラインを描いたのではなくて、“カッコいいラインを描く” ためにラインを描いてしまっているからです。

絵画のために描かれたラインでなければ、ラインがうまく生きるはずはありません。
ラインを生かすには、絵画が必要としている時にはじめて生きるのです。


“大胆なライン” をむやみに使用してはいけない。

こうしたことを書くと、

「ピエト・モンドリアンだって、バーネット・ニューマンだって、“大胆なライン” を使っているじゃないか」

と思われるかも知れません。

確かに彼らは、“大胆なライン” を使用しています。
しかし、それがおかしくは見えません。
なぜなら、絵画にフィットしているからです。

なぜ、彼らは絵画にフィットする大胆なラインを描けるのか。

それは、彼らはテーマのために大胆なラインを使用しているからです。
だからこそ、ラインが絵画の中で生きて見えるのです。

大地の “水平線” 、高層建築の “垂直線” …。
そうしたテーマを根源に持っているからこそ、彼らの “大胆なライン” はちぐはぐには決してならないのです。

ただ “カッコいいライン” を描きたい。
それだけだと、“ラインが宙に浮いた” 浅い作品に陥ります。

「ライン」や「面」など、絵画を構成する “要素” に着目するのは悪いことではありません。
しかしまずは、それらが絵画を “支える” ものとして理解し、大切な “テーマ” を探すことが必要なのです。


 





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